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2008年08月12日

8月13日


この日が何なのか、僕らよりも後の世代には分からない人が多いかもしれない・・・

8月13日、今から4年前のこの日、沖縄の大学内に米軍のヘリが墜落した日だ。

自分は既に就職していたから、事故に直接被害にあった訳じゃないんだけど、当時大学には同年生も在学していて、かなり心配したのを覚えている。それに、観光業という仕事柄、米軍絡みの事件・事故には敏感で、事故が起きた時も新聞、ニュースでを片っ端から情報を集めていた。(2001年のテロの教訓)

その事故からやがて4年が経つ・・・早いような昨日の事のような。

今年の春、大学では事故当時を知る最後の学生達が卒業していった。事故があった事を知る学生は殆どいなくなってしまったらしい。

沖縄で生まれて、育って、沖縄から出た事が無い人間にとっては身近な重大な出来事で、大事になるのが当たり前だと思っていたけど、内地(今時使わないか・・・)では三面記事にすら載るか載らないかの扱いだったらしい。事故後に知ったんだけど・・・

事実、内地にいた友達の中には事故を知ってるよりも、知らない人の方が多かった。

間違った考えかもしれないけど、それも仕方の無いことだと思う。新聞もテレビも見てもらえない内容より、見てもらえる内容を優先するのが当然だから。

裏を返せば、沖縄には青い空・青い海・白い砂浜の南国的なイメージはあっても、基地の島っていうイメージは無いんだろう。

情報化が進み、昨日の事が過去の話になる現代。いくらコンピューターが発達し情報化が進もうとも、情報を欲するのは人間なんだから、欲しない情報が伝わる筈が無い。

結局は人から人に口伝していかなければと思う。何百年前の事が伝説として残ってきたように。

話が前に戻るけど、ヘリ墜落の事を知らない人が増えるのと同じで、ここ読谷村でもかつて米軍のパラシュート降下訓練が行われていた事を知る人は、僕らより後の世代には少ないと思う。つい10何年か前まで行われていたのに。僕らが生で見た最後の世代なんじゃないかな?ちょうど校舎の3階から見ていたのを覚えている(2階だったかな?)

なんか偉そうに言ってるけど、当時はそれが当たり前で、沖縄のど真ん中に嘉手納・普天間基地があるのも、沖縄市行くのに30分係るのも(一直線で行けば15分位の距離なのに)生まれた時からそうだったから別に何とも思わなかった。と言うより何も考えなかった。

高校卒業して、観光業と言う仕事に就いて、商工会に関わってやっと?と思うようになった。基地だけじゃなく政治や経済についても。
つづく

ケイタイで書くと疲れる(汗)パソコンがやっぱ楽だわ・・・



Posted by RYO.I at 01:25│Comments(0)
 
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